3機6機「お勤めご苦労様です」
     進めや進め諸共に



報道されておりますが、広島土砂災害現場へ警視庁の第3、第6機動隊の混成部隊250名規模が、

陸路向い、既に被災地で展開中だ。


とは言え、第3が渋谷区の駒場、第6が品川の勝島と、個人タクシー地理試験勉強時についでに学んだ各隊の所在地程度しか私は知らない。


世の中の事は知らない事だらけだから、事あるごとに少し調べるのが私の癖なので 小学校生活を思い出しながら夏休みの自由研究感覚で軽くまとめてみた。(笑


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機動隊

色々と調べましたが、警視庁では第1から第9まであり、特車隊まで含めると10個機動隊で編成されており、首都の警備と言う性質からも当然、規模は全国屈指だ。


第6機動隊は羽田空港隣接地域なだけに空の玄関口の羽田空港警備関係が担当らしい。
 また、重要警備実施時等、人手の確保の必要がある場合は主に第3機動隊が応援にやってくるのが通例らしく、日頃から連携が保たれており、3機と6機はツーカーの仲なのかもしれない。



私の身を置く個人タクシー業界

各支部や単組の寄せ集めで団体を立ち上げており、でんでん虫組合やちょうちん組合にまとまるが、いずれも東京都個人タクシー協会や全国個人タクシー協会の加入組織に過ぎない。

その末端の支部や単組でも、「仲が悪い」は置いといても、
「仲がよくてツーカーの関係」の単組は、地理的関係の所謂、隣接や二枚看板同士の特徴の共通する関係から、多数存在し交流は頻繁だったりする。



話を戻し
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興味本位で色々調べてるうちに遭遇したのが下の動画


行進曲として用いられているのは、戦争ドキュメント等で 「学徒出陣」 のVTR放映時に流れる
「抜刀隊」 で、旧日本陸軍の行進曲と勝手に思っていた。



抜刀とは穏やかではないが、現在の警視庁でもそのまま演奏されている事を不思議と思い、

少し調べた。


   警視庁機動隊 観閲式 分列行進


 遡ること1877年(明治10年)の西南の役で徴兵された平民出の官軍では、薩摩軍の刀による白兵戦に対応できなかったことにより、 「越すに越せぬは田原坂」 で有名な田原坂で苦戦。

そこで、警視隊(西南戦争の際に東京警視本署(後の警視庁)が編成した部隊)から剣術に秀でた者を選抜して、100余名をもって抜刀隊が編成され、 抜刀隊による白兵戦の活躍により、硬直した戦局を打開。

薩摩軍と渡り合えた抜刀隊の功を称え、後の1882年(明治15年)に、外山正一(東京大学教授)が、これを題材とした詩『抜刀隊の詩』 を発表し、これにシャルル・ルルー(フランス軍楽隊からのお雇い外国人)が曲を付けて、1885年(明治18年)に軍歌『抜刀隊』が発表された。

さらにこの『抜刀隊』をベースとして、軍歌『扶桑歌』の旋律を組み合わせて、1886年(明治19年)に『陸軍分列行進曲』が作曲され、大日本帝国陸軍の公式行進曲として採用されたらしいが、元々は警視隊の抜刀隊の詩である関係から、現在でも警視庁では演奏するらしい。


調べて色々分かりましたが、 ほんと、 世の中知らないことだらけである。

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  現在の機動隊 (警視庁)


 1個機動隊 (大隊)は隊本部に加え、6個中隊で構成。

 常備中隊は4個中隊までで、第5中隊から第6中隊までは「特別機動隊」と  呼ばれる非常勤で
 通常は各警察署勤務。  機動隊長は警視。



  中隊
 1個中隊は3個小隊で構成。
 中隊長は警部。



  小隊
 1個小隊は3個分隊で構成。1個小隊でバス1台
 小隊長は警部補


  分隊
 約8名で分隊を構成。
 分隊長は巡査部長

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上記の部隊編成から推察するに、今回の広島派遣隊の場合は250名との事だから、

3個中隊プラスα(随伴する小規模の特殊救助隊含)の規模なのだろう。

各隊とも完全に留守にはできないので考え抜かれた選抜と思われる中、

勝手に推察するに、出発式が第6機動隊であった事から第6機が2個中隊、
第3機が1個中隊の抽出ではなかろうか?



いずれにせよ最低でも1個中隊が留守になる。


常備4個中隊で毎日当番中隊を決めて、4交代制の勤務についているらしいから、
残された隊員の勤務シフトにも大きく影響する。


出 明 公休 W公 の法人タクシー業界で見慣れたシフトにだ。


2個中隊もっていかれると、出 明 の連ちゃんとなり、想像すると酷極まる。


本当に「お勤めご苦労様です」と言う他ないが、お手当てに反映されることを切に願う。
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2014.8.26



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付録

  拔刀隊
    丶山仙士


我は官軍我(わが)敵は  天地容れざる朝敵ぞ
敵の大將たる者は  古今無雙(双)の英雄で
之に從ふ兵(つわもの)は  共に慓悍(ひょうかん)決死の士
鬼神(きしん)に恥(はじ)ぬ勇あるも  天の許さぬ叛逆を
起しゝ者は昔より  榮えし例(ためし)あらざるぞ
敵の亡ぶる夫迄(それまで)は  進めや進め諸共に
玉ちる劔(つるぎ)拔き連れて  死ぬる覺悟で進むべし


皇國(みくに)の風(ふう)と武士(もののふ)の  
其身(そのみ)を護る靈(たましい)の
維新このかた廢(すた)れたる  日本刀(やまとがたな)の今更に
又(また)世に出づる身の譽(ほまれ)  敵も身方も諸共に
刄(やいば)の下に死ぬべきぞ  大和魂ある者の
死ぬべき時は今なるぞ  人に後(おく)れて恥かくな
敵の亡ぶる夫迄は  進めや進め諸共に
玉ちる劔拔き連れて  死ぬる覺悟で進むべし


前を望めば劔なり  右も左(ひだ)りも皆(みな)劔
劔の山に登らんは  未來(来)の事と聞きつるに
此世(このよ)に於(おい)てまのあたり  劔の山に登るのも
我身(わがみ)のなせる罪業(ざいごう)を  滅(ほろぼ)す爲にあらずして
賊を征伐するが爲  劔の山もなんのその
敵の亡ぶる夫迄は  進めや進め諸共に
玉ちる劔拔き連れて  死ぬる覺悟で進むべし


劔の光ひらめくは  雲間に見ゆる稻(稲)妻か
四方(よも)に打出(うちだ)す砲聲(声)は  天に轟く雷(いかずち)か
敵の刄に伏す者や  丸(たま)に碎(砕)けて玉の緒の
絶えて墓なく失(う)する身の  屍(かばね)は積みて山をなし
其血(そのち)は流れて川をなす  死地に入(い)るのも君が爲
敵の亡ぶる夫迄は  進めや進め諸共に
玉ちる劔拔き連れて  死ぬる覺悟で進むべし


彈丸雨飛(だんがんうひ)の間にも  二つなき身を惜(おし)まずに
進む我身は野嵐に  吹かれて消ゆる白露の
墓なき最後とぐるとも  忠義の爲に死ぬる身の
死(しに)て甲斐あるものならば  死ぬるも更に怨(うらみ)なし
我と思はん人たちは  一歩も後へ引くなかれ
敵の亡ぶる夫迄は  進めや進め諸共に
玉ちる劔拔き連れて  死ぬる覺悟で進むべし


我今茲(ここ)に死(しな)ん身は  君の爲なり國の爲
捨つべきものは命なり  假令(たと)ひ屍は朽ちぬとも
忠義の爲に捨(すつ)る身の  名は芳(かんば)しく後の世に
永く傳(伝)へて殘るらん  武士と生れた甲斐もなく
義もなき犬と云(い)はるゝな  卑怯者(ひきょうもの)となそしられそ
敵の亡ぶる夫迄は  進めや進め諸共に
玉ちる劔拔き連れて  死ぬる覺悟で進むべし


ウィキペディア引用
歌詞の終末四句を毎節繰り返す点などは、
明白にアメリカの軍歌の形式を踏襲したものとされる

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太平洋戦争ドキュメントで見慣れた「学徒出陣壮行会」 1943年
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