3年経過の311


早いもので、あの311から三年が経過し、四年目に突入した。


311は年がら年中おもい出しますが、当時みた映像を今見ても衝撃的過ぎて、
こんな事が起こり得るのだろうか? と、いまだに思う。


私にとっての311は放射性物質の拡散への恐怖が鮮明な記憶だ。


当時、水素爆発を映像で見て驚愕した。



正に今でも悪夢ですが、原子炉建屋が吹っ飛んだんだ。



発電機さえ機能してれば原発は大丈夫だった、と、当初は考えもしたが、
予め発電機対策を複数案用意できてなかった事自体が、管理能力や、対応力の欠如を露呈した訳で、安心安全のクリーンエネルギーだと、膨大な広告費を投じてPRされ続けられてた事が、全て嘘偽りだと悟った。


まさに、「百聞は一見にしかず。」 であります。


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駄洒落に「ふとんが吹っ飛んだ」なんてのがあるが、ダジャレを考える余裕も瞬時に吹っ飛び、「関東もダメだ。」と、真剣に西日本への疎開を検討した。


その後の度重なる政府発表には落胆し、阪神淡路に続いて東日本大震災のその時も、 何故に政権交代期間中なんだ? (辞めるの辞める火星人じゃあないだけマシだけど、、)、、

と、巡り合わせには絶望したが、その現状を選んだのは、 我々国民である事に気がつき、自業自得だと思うと、さらに落胆した。


この間の悪さには日本の未来に悲壮感を抱かせんとする、ある種の作為的な、
とてつもない見えない力の作用ではなかろうか?と、疑念を抱かざるを得なかった。
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また、食料難やガソリン難民生活などに四苦八苦した事も辛い思い出。

それら直面した問題を前に、対応に忙殺されてた実情から、
自らも被害者のような錯覚に陥ってた事を思い出します。


ガソリン難民生活には日々苦労しました。


当時の記事
ガソリンスタンド東京難民

節電の名の元に街灯のない道路での営業の疲労に加え、営業で消耗したエネルギーの 補充がままならない疲労感は現実とは思えなかった。
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自分自身が相当苦労(つもり)した結果、地震よる被害者や原発避難民の方々に対する思いは希薄であったし、 考える余裕すら一定期間はありませんでした。



そんな当時を思いだす。


当時の記事
311回想録

311回想録2 地震発生!東京都内道路事情




しばらくして落ち着きはしたものの、日々の生活に追われて記憶は薄れるばかりである。
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ここにきて、311の検証番組は当時や、被災地の今を冷静に直視する機会だと思う。

そんな流れで、当時みたユーチューブ動画を見たりもしてるが、中でもこの動画は印象的
地震が起きたら真っ先に逃げ出すであろう私からすれば、動画の巡視船「きたかみ」や、 「まつしま」の乗組員の彼らは英雄的だ。

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 逃げだす。の真逆で、海保所属で、船齢31年の「きたかみ」は地震発生時には寄港して給油中だったにも関わらず、国民の財産を守るべく、給油を中断して急ぎ離岸し、錨を引きずりながらも航走を開始した。


津波が押し寄せる中、港口手前200mで押し戻され始めた瞬間、
右舷に大きく傾き遂に「舵が効きません、操舵不能です…」の報告。と、回想録にある。


正に必死の操艦で、「きたかみ」は引き波に乗りながら出港できたのは、 日頃の鍛錬の成せる技に違いない。



艦内の緊張感と、連発する情報量はハンパじゃない。


まるで押し寄せた雷撃機群(50機相当)の放った魚雷を回避してるようで、 対空戦闘を彷彿させます。


そして諦めない姿勢には感服。


私なら給油中に地震が来たら駐輪場の同僚の自転車を無断借用し、迷わず高台を目指す。


動画冒頭の小さな無線からの音声はR○Jの声かと思った。

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続いて


第二管区海上保安本部宮城海上保安部  巡視船「まつしま」

艦長らしき人物の声は、MPS 香椎隊長そっくり


地震発生時には福島県相馬港内で、きたかみ同様、錨を降ろしていたが、 国民の財産を守るべく緊急出港し、 得体の知れない自然の脅威に向かっていく。



いずれも業務だとは言え、立派過ぎる。


全く怯まず、直面した状況に集中しての対応。


なにより規律ある行動には感動を覚える。

動画の中の声の主が、自分の兄弟や父や子に置き換えれば尚更だ。

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 それにしても311



三年経つが今だに信じられない。


テレビでは押し寄せた津波の高さやら、今の被災地の様子を何度も伝えて頂けてはいるが、 高さ14メートルとか言われても、恐ろしさがピンとこない。


また、被害に逢った縁者がいないからか、彼らの心の中は漠然としか分からない。


私の想像力を遥かに超える出来事だから、テレビの中の話のようで、 大変申し訳ない気持ちに支配されます。


どーなったらあーなってこーなるんだ?


の、疑問を抱き続けた三年間でしたが、多くは理解できず、推察の粋の中で頓挫する。


疑問の渦の中を漂流する事にピリオドを打てる解決策は、
一度、見て回るしかない。との結論に達しました。


「百聞は一見にしかず。」 だが

「百見は一考にしかず。」

 色々現地で考えたい。



 そして、「百考は一行にしかず。」ともある。




↓時系列で分かりやすい動画。 (NHK2011,3,11,14:40) 
緊急地震速報が出てたのは知らなかった。

初動を促すにはなかなかのタイミング。 この日のこの時間に遡る事ができればいーのに。

当初の津波の高さ予想が控えめなのが印象的
見立てが甘く、逃げる気になりにくい印象。

2014.3.15

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