311回想録2
地震発生!東京都内道路事情
311回想録 1(地震のあの日)の続編

311の22時位

とにかく出庫してみる事にした。


 高速道路は全線不通だし、幹線道路すら満足に動かない状況下では需要が爆発的でも旅客輸送を正常に遂行するのは不可能だ。 そのような状況下で供給力をいくら増したとしても全くもって意味を成さないだろう。

どう考えても商いとしては採算度外視と言う感じではございましたが、 目的が収益を得る為ではなかった事は確かなような気がします。


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今でも理由は分かりませんが、目的地は「野良猫のチャ」が待つ 「永田町」と、目標(暫定)だけは決めました。 私とティアナのお腹が満タン状態からのスタートではありましたが、お茶とビスケット系の菓子類を途中のスーパーで多数調達した。 長い航続時間になったとしても支障なく耐え抜く備えではあるが、用意するに越した事はない。


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進塁30分後

 パソコンで調べたとうり、上り車線は順調だが、下り車線はどーしよーもない。 環七を越える前だが、既にまともなコースでの個タク村帰投は不可能な地点まで進塁していると悟ります。
空いてる幹線道路をスルーして、意図的に裏通りや路地を選びながら、郊外への離脱ルートを 調査しながら都心方向へ向かったら案外、裏通りは通り抜けれる事を確認。

ナビゲーションが指定(ナビ指定抜け道含)しない道はここ郊外に於いては機能していると考えて良いのだろう。 今現在の未曽有の大渋滞はナビゲーション頼りのあまり道を知らないサンデードライバーさん達が大半に違いない。と、推察。
となると都心部でもサンデーズの裏をかけば営業は可能ではないか?と楽観論を構築するが、この甘い幻想拡大により後でドツボにハマル。

軽くリサーチを終え、楽観モードの中、営業開始。

最初のお客様は豊島区長崎周辺を普段なら不自然な時間に不自然な道を歩く六十代と四十代の母娘様。(推定)

乗られるなり、「あー助かった〜」と発せられ、続けざまに「池袋で電車を2時間並んで待っても全く動く気配がなく、 バスもタクシーも居ないから諦めて歩いて戻ってるところでした〜。」との事。
「大変なご苦労をされてるんですね〜。

どちらまで行かれますか?」と、お聞きした所、行き先は「光が丘」との事。 今、走ってきた道を戻る正反対方向でしたが、予想どおりなので、全く苦にせず反転。


で、間髪入れずに提案

「ご存知とは思いますが、地震の影響で下り方向の道路は麻痺してます。めちゃくちゃな進行方法でよろしければ 少しでも安くて早くたどり着ける可能性がありますが、お任せ頂いてよろしいでしょうか?」

「座って帰れるだけで幸せですからお任せしますよ。」

「かしこまりました。」

と、どこをどう通ったか、翌日にはすっかり忘れさるような紆余曲折路地ラインで進行。 局地を正確に把握できるナビゲーションの底知れぬ威力を改めて感じました。

数件こなして、 「案外といける。」
と、ある種の勘違いを抱きつつ、都心部を目指しました。

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スルスルと明治通りを抜け、飯田橋の外堀通りをも抜けた時点で、とんでもない事に首を突っ込んでしまったと、猛省する。

全然、下り方向が動いていない。
全く動かないタクシーなんかに誰も乗る気にはならないだろうレベル。

今更、帰る気にもならない(帰るに帰れない)ので、さらに目標の国会を目指す。

(内堀通り付近からは隅々の路地までぎっしり。 )


こりゃあ。。。


もし火事が発生したら誰も消しに行く事はできない状況ではないか?
海外のメディアでこの状況を放映したら「頭が意外と悪い人たち」と写るに違いない。。。

無線は出てたが、全く応答せず。

配車先へは規定の時間内には絶対にたどり着けないと確信したからだ。 行けもしないのに無責任はできない。お客様に淡い期待を抱かせる事は罪だ。

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それでも国会に向かう道だけは流れるもんだから遂に我が国の立法府周辺に到達。 チャのいそうな場所を歩いて探すがいなかった。。。。

車は正に溢れるほど存在するが、稼動してないだけに踏み潰される可能性は極めて低いのは幸いだったが、 姿が見えないのには心配した。



  無線は取らない。

  チャにも会えない。

となると、「何しに来たのか?」と、自問自答しつつ、車の中でテレビに見入っていた。
普段なら1分以内で行ける無線も何本もバス。奇跡的にたどり着けたとしても止める場所はない。



持参したお菓子やお茶を余震に揺れつつ飲んだり食べたりしながらテレビを見続けたが、30分位してふと気がつく。

「これでは家に居るのと変わらないのではないか…? 」  マジで。。



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日付も変わったし、そろそろ大渋滞は改善されるに違いない。と、根拠のない展望を元に営業を再開する事を決意します。

とは言ってもエリア登録なんかしたら、接近不可能などこへ配車されるか分からないので、 多分、出るだろうと思われる限定的な場所に予め移動し、出ると同時に応答する超近接戦スタイルを採用。

つうか、どーにもならない八方塞がりの中、 「死中に活を求めん」 的な行動だった気がする。

で、接近を開始し、あと10分で着くだろう的なポジション(見える距離で概ね25メートル位) に到達したらターゲットが出たので、応答ボタンを「ピっ」と押させて頂きましたところ、

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目と鼻の先だけに当たり前のように配車になりました。(多分、到着まで30分で急行可能圏内には空車は私だけしか存在しなかっただろう)

これで日頃お世話になってる無線室へはご恩返しができたので、無線車としての本懐は遂げた。

漠然とだったとは言え、一つの目的は達した。

8分位で25メートル先だった配車先に到着目前、お客様が先に出て来られましたので、ご乗車。 「お待たせしました。どちらまでですか?」 と、定型分。


すると想像すらできなかった驚愕なお答えが…


「道は混んでますか?」

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雨の日に「今日は雨ですか?」に限りなく近いような問いだったので、一瞬、気絶しそうにはなったものの、 こりゃあ地震の影響で職務に追われ、過労の影響で酷く混乱されてるに違いない。

丁重にお送りせねば…


と、切り替えつつ、「はい。見てのとおり大渋滞です」

お客様
「混んでますか〜。溝の口なんですが、首都高速は無理でしょうから一般道ですかね?」


「高速は機能してませんから、一般道を手探りで移動する事になります。」

と、申し上げると、「わかりました。とにかく早い道でお任せします。」と発車。

発車後、30分位して300メートル程、進んだ地点で

お客様。
「動かないですね〜」


「動かないですね〜」

遂に…意見が一致した。


で、しばらく進むと一般道の道路情報電光掲示板に信じられない記述が…

多摩川まで5時間以上

(参考、通常は25分位で溝の口より手前) 余震でグラグラしながら


(-.-;) 「 … 」

お客様
(-.-;) 「 … 」

次の瞬間、ラジオから吉報が!

地下鉄一部復旧





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深夜にも関わらず、復旧させて動かすらしい。

どう考えても霞ヶ関からだけ人を運ぶのに動き出した感じではありましたが、 真下を走る地下鉄に乗ってお客様は出発点の勤務先まで戻って宿泊される英断を下された。(一駅だけど…)

1キロ以内で数千円の運賃を頂戴し、フリーにもなったが、空車で渋滞に並びたくないので、 さっき配車を受けた地点まで戻る事にします。

逆方向は流れるので3分位で着。(-.-;)

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瞬時にふりだしへと戻ったものの、なーんもやる気がおこらずボッケーっと止まってました所、 残業帰りのお方が「いーですか?」

「はい。どーぞ」

お客様
「近いんですけど、九段までお願いします。いやー居てくれて助かりました。いつも無線なのですが、今日はぜんぜん呼べなくて〜」


「わ。。。わかりました。」

と、約3キロ先へ進行開始。
もうこのまま九段を抜け、都心部から抜け出そうと決意。 事実上の投了だ。
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 やや渋滞が解消し、前回のお客様が降りられた地点まではすんなりと15分程で到達したが、 自民党本部前の永田町側から平河町方面へ(平河町交差点)越えるに越えれない。 信号機が青から赤を何回見送ったか分からない。

全然前が空かないので永久にこの場から動かないのではなかろうか? と、心底思えた。

それでも、30分くらいでなんとか交差点を越え、列に並ぶがどーしよーもない。 路地に抜けてもそこも動かない。
完全に「諦める」事で、精神の健全性をなんとか維持するが、 お客様は「寝る」と言う、最良の対処法でしのいでおられた。
 遂に新宿通りに到達し、平河町側から麹町方面へ越える10回目位の信号待ちの最中、 お客様が目覚められる。

「まだですか?」


「ここまで約1000メートルを60分ですから、アベレージ時速約1キロですので、 このペースを継続した場合、あと、2時間位だと思われ、我々は既に帰宅難民だと自覚し始めてます」

さすがに歩くとおっしゃるかな? 歩くと30分で着くだろうから。。。。
なんて思ってると、


お客様b
「わかりました。寝てますので近づいたらおこしてください。」との事で。祝!実車進行継続。

この時間帯は異常に緊急地震速報なんてのが、鳴りまくってました。 数秒後にはグラグラで、震度3程度にはなんとも感じなくなっていた。

震源が宮城、福島、岩手界隈から新潟や長野にも飛び火始めた頃で、「こりゃあ日本は駄目かもしれない」 と感じつつ、映画「日本沈没」を思い出した。

どうにかこうにか百数十分で、九段到着。

運賃は3キロで1万円近くを頂戴し、帰投を果たします。

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総括 

 外堀の外側の裏道りは流れてましたので、右往左往しながら逃げ帰りました。
それにしても「何で規制をしないのだろう」と思えるくらいに都心部は異常な渋滞でした。あれでは緊急車両は全く通過できません。

延焼を防ぐ広い国道もあれだけ可燃性の車が並んでたら火に油(車)状態ですので、火災でも発生しようものなら火に飲まれて皆焼け死にます。

ただ、バイクはいーかも。スルー。スルー。でいけそうでした。

次回はバイクの白タクとか出てくるかもしれませんね。

311に私の周辺でも仙台やら福島にタクシーでお送りした方が存在することからも 需要は爆発的ですから!


 動けない上に延焼促進行為でしかない「4輪車での進行は2度と行いません。」 と、深く反省しつつ感じたのが、日本人の規律を守る姿勢には感動した。

信号は守る。空いてる反対車線を走行しない。歩道は走らない。 クラクションを鳴らさない。等、 パトカーとか皆無で、取り締まりは有り得ない状況下でも忍耐強くに従う姿勢だった。

当たり前の事だが、Fフードの食べ過ぎからか、すぐぶち切れる海外の某国等の国民性とは比較にならない忍耐力のある国民性だ。

我慢しないのは簡単だが、「我慢」のできる日本の美徳の素晴らしさを改めて感じました。
 2011.9.9

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 311回想録 2 完

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